初めて彼を見たのは、俺が百鬼神になってから幾らか経った頃だった。

使えない使用人や罪の無い人間の血肉ばかりを見ていた俺の目に、その姿は余りにも鮮烈に焼き付いた。

まるで光そのもののような。
まるで命そのもののような。
まるで――


世界そのものの ような。




Worlds end+ -1-




数日前。
使用人の一人が、焦ったような表情を浮かべて主人の部屋に飛び込んできた。
部屋の主である駆馬は、「折角微睡んでいたのに」とまず怒鳴ってから痛めつけてやろうと思ったのだが、使用人はその前に開口した。


「駆馬様…森に、森に…!」
「…?」


駆馬の部屋は森には面しておらず、彼の言う異変には気付かなかった。
使用人の余りに尋常でない形相に、反対側の部屋まで足を急かす。
その「異変」には、森を見る前から―正確には部屋に入った瞬間から―彼は気付いた。


「こ、れは…っ」

部屋全体を包む緑の光。光源は使用人の言う「森」のようだ。
瞳を開けるのも億劫だったが、やや収束しつつある光を遮るように、手で目の上にひさしを作った。
漸く薄っすらと視界が形成されて、窓の向こうに徐々に森の輪郭が現れる。

そして、周囲の木よりも高いとある木―森のシンボル的な古木(芽吹きの木と呼ばれている)―の影から、天に向かって緑の光が一直線に上っている。
やがてゆっくりとその光の柱は細くなってゆき、溶けるように見えなくなったのである。

駆馬の側にいた使用人達も釘付けになり、その様子を見守っていた。
その光景は超常的で、しかも美しく、駆馬の好奇心をかっさらうのには充分だった。


「出来るだけ早く、今の光が上った木を調査する準備を整えろ。ただし俺が一人であれを見てくる。
良いか、もう一度言うからな。早くしろ。」



――――



そして数日後。

一人の男が、あの「芽吹きの木」の側でつっ立っていた。
いつもよりも動き易そうな服装であったが、誰より此処に来たがっていた、紛うことなき駆馬であった。
ただ彼はじっと木の幹を見詰めている。いや、その視線は幹に有るのではない。

巨大なその木の腹に、一人の少年が縫い付けられていた。

白く華奢な四肢には植物の蔦らしきものが絡んでいるが、一糸纏わぬその裸体には傷一つない。
表情もとても穏やかで、まるで眠っているように見えた。
少なくとも死体には見えない。

ただ、唯一痛々しいのが―その薄い胸に突き刺さる禍々しい黒の剣だった。
見たところ出血は無いのだが、深々と刃先は突き刺さり、胸から背まで貫通しているようだ。

それなのに少年は、宝物でも抱きしめるかのような柔らかい笑みを浮かべている―その矛盾。

不思議と惹かれた。
助けたいと思った。
その閉ざされた瞳を見てみたいと、強く思った。





「…駆馬様、そのお方は?」
「森で拾った。」
「…は…?」
「うるせー、がたがた言わねーで看病してやれ。目ぇ覚ますまでこの邸で看る。いいな。」
「は、はっ…かしこまりました。」


そいつは俺の部屋に寝せておけ、と付け足すと目を丸くする使用人。
それもそうだ、駆馬は普段住み込みの使用人すら部屋の中に入れたがらない。
とかく、うなずかなければ罰を与えられると知っているその使用人は了解し、少年の身を清めるために彼を連れて行った。

自分でも何故こんなに親身になってやったのか理由は分からないままだったけれど、少年がシルクのガウンに身を包んで運ばれてきた時に、何となく「共に居たいと思ったこと」だけは理解しえたような気がした。

けれどどうせこの少年もまた自分より先に消えてしまうのだろうと、同時に改めて気付かされてしまった。

いつもそうだ。
大切にしたいと思うものは、まるでそうなる運命であったかのように脆くも崩れ去る。


「…馬鹿みてー。」


駆馬はふかふかの布団にくるまれて眠る少年を見詰めながらふと呟く。
自嘲なんて柄じゃないけれど、寂しさまでは強がりでは拭えなかった。


願っても願っても願っても
指の間から砂のようにすり抜けて落ちてゆく。

いつか叶わぬなら願わなければ良いだろうと、
いつか叶わぬなら愛さなければ良いだろうと、

妥協するようになっていた。

涙などは出ない。
哀しいとも思わない。

そんなものは"とうの昔"に忘れてしまったから。


この少年も、目が覚めたらまた突き放してやろうと決心した。
その誓いは直ぐに揺らぐとも知らずに。





- To be continued -

 

 


――――――――


『愛は時として倫理をも覆す。
それは背徳に導き出す愚の誓い也。』

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